「冬目景」という漫画家がいます。
美大出身の漫画家で、当初は油絵の技法で表紙やカラーページを描くことが多く、独特の絵柄と退廃的、あるいは厭世的、切なさといった世界観がコアなファンを獲得し、熱烈な支持を受けている作家です。
現在は、昔ほどやるせない世界を描くことはなくなったため新鮮味が薄れ、デビュー当時は強烈に個性的だった絵柄もポップなものに転化しました。
このほど、15年続いた恋愛群像劇「イエスタデイをうたって」が完結し、別で連載していた連載も終了、新作が待たれているものの、作風のあまりの変化に、昔からのファンは少し減った感があります。
個人的には、十分実力のある作家であることに違いはないものの、確かに他に類する物の居ない個性という意味では、薄れてしまったと思っています。
その冬目景の初期作品にして、代表作、出世作として名高いのが、アニメ化、実写映画化された「羊のうた」です。
『羊のうた』のストーリー
高校生で、同級生の美術部員:八重樫葉のことが好きな主人公、高城一砂は、幼い頃父親の友人に預けられていた。
ある日、美術部員である八重樫が目の前で小さな怪我をして血を見た瞬間、暴力的な衝動と渇望感が心身に走る。
体調を悪くした彼は保健室で休んだ後、帰り道、ふと自分の過去について思いを馳せ、幼い頃の記憶をたどり、昔住んでいた屋敷を探し出す。
そこで住んでいたのは、幼い頃に生き別れた実の姉、千砂だった。
そこで、自分の実の父親がすでに死んだことを告げられ、なぜ誰も知らせないのか、母親のことをなぜ誰も語らないのか、なぜ皆が隠し事をしているのか、という疑問を投げかけるが、千砂は「皆、貴方には普通に生きて欲しかったから知らせなかった」と返答する。
そして、さらに「なぜ」と問う一砂に、千砂は冷たい微笑と共に「高城の一族は、吸血鬼の家系だもの」と告げた。
当惑したまま帰宅した一砂は、翌日、八重樫が描いている絵の「赤」を見たとたん、また、あの感覚に襲われ、昏倒してしまう。
危機感を感じた一砂は再び千砂の元を訪れ、そして、「吸血鬼」という言葉の真意を知を知り、千砂があざけるように、あるいは自虐的に語る「血への渇望間と衝動、貧血などの症状」に、自分もまた襲われていることを告げる。
それまで一砂のことを「所詮当事者ではない者」として一線を引いていた千砂は、一砂に当座の対処法と薬を分けるが、やがて一砂は再三、恋愛感情の対象である八重樫葉を殺すことを夢想し、自己嫌悪に陥り、どうしようもなく収まらない吸血衝動に苦しむことになる。
そこに現れた千砂は、自らの腕を切り、したたる血を一砂に差し出し、告げる。
「あきらめて、こっちに来て……」
やがて破滅に至る、二人の生活が始まる
とことん厭世的な吸血鬼モノ
吸血鬼モノというジャンルそのものはポピュラーな題材なのですが、この作品は、吸血という衝動を拒否するが故に身体を蝕む薬を使い、人を殺し、破壊し、傷つける衝動を「嫌悪感」として描くことで
「わたし達は……羊の群れに潜む狼なんかじゃない 牙を持って生まれた羊なのよ」
と、羊であるが故の苦しみを描いた物語です。
発狂して死んだ母、かつては父親との共依存関係にあった千砂と一砂の共依存は、性的な直接描写はないものの、間違いなく近親愛を描いたインモラルな物語でもあり、病めば病むほどに絆を深めていく兄弟に、彼らを好きな異性や育ての親は排されていく。
血を飲まずに衝動を抑えるためには心臓を蝕む薬を使うしかなく、千砂の身体はもうボロボロ。
それでも、二人きりの暮らしに閉じこもり、もう最後は破滅しか見えないのが途中からありありとわかります。
このやるせない厭世感が、独特の絵柄と相まって、当時熱狂的なファンを獲得したのです。
アニメ版の見所
https://www.youtube.com/watch?v=4Duj5QRmiJs
この作品がアニメ化されると決まったとき、多くの読者の関心は「冬目景の絵柄をどれだけアニメにできるのか」でした。
そのくらい、当時の冬目景は独特の絵だったのです。
そして、個人的な感想で恐縮ですが、期待値を上回る出来だったと思います。
当時のレベルとしては、とてもTVで放映し、維持し続けられるクオリティではない、といった感じでした。
そして、低質なクオリティの「羊のうた」なんて見たくはない。
ならば5話で十分です。
アニメは全5話と短く、作品世界をどう切り分けて詰め込んでいくのか、という課題もありましたが、インモラルな姉弟間の関係を描ききりました。
そして、一番の見所はラストです。
漫画版で描かれたハッピーエンドではなく、救いのない、だからこそ悲劇として完成した美しいものでした。
漫画は新装版で全7巻とわりと長いので「鬱展開に体制がないけどコアな人たちの間で評価の高い、実写映画にもなった「羊のうた」に興味がある」という人には、本当にお勧めです。
ハッピーエンドとバッドエンド -作者が描きたかったラストシーン-
この物語は、途中から、ほぼ全ての読者、視聴者に共通して悟れることがあります。
それは
「バッドエンドしか見えない」
というもので、血を吸いたくない、他者を傷つけたくないという人間としての理性があるまま、吸血、惨殺衝動に抗わねばならない二人の精神力がゴリゴリ削られていく模様であったり、側にいればやがて殺してしまうかもしれないが故に、好きだった人を遠ざけ、やがて二人だけの世界に閉じこもらざるを得ない展開であったり。
すでに母親は発狂死しており、その後をなぞるしかない姉弟の取れる道は、身体を壊すと知って薬を使うか、互いの血を飲むか。
しかし、ある理由から、千砂は一砂の血を飲むことはしません。
そうなるともう、逃げ道がないわけです。
そして、本当に綺麗で壮絶なラストシーンが描かれたのですが……漫画版は、単行本で後日談として、付け足したような救いの展開があり、若干ならず無理があるハッピーエンドとして〆られていたのです。
しかしは、アニメではそこは完全にカット。
ここが、アニメ版「羊のうた」と漫画版「羊のうた」の違いで、実は作者側でも、「当初予定していた本当に救いのないラスト」があったとインタビューで語っており、それはアニメ版のラストシーンだったのではないか、との思いがあります。
ただ、6年も続いた長期連載を「本当に救いがないバッド」で〆るというのは、きっと本当に勇気がいることで、出版社的にも冒険はできなかったのかもしれません。
実際、アマゾンのレビューなどでも、漫画版の後日談は「蛇足」という意見も多く、全5話とコンパクトにまとまっているアニメ版であれば、このラストシーンにも耐えられるし、むしろ適応していると思います。
冬目景初期の逸品
古い作品ですが、雑誌連載中に小栗旬のデビュー作として実写映画化もされており、物語の力は十分にある逸品です。
アニメとしても、当時ではきわめて高いクオリティーなので、今見ても充分視聴に耐えられますので、これを入り口に、冬目作品に入ってみてはいかがでしょう?
このアニメを見た後で気に入った人ならば、漫画「ZERO」「僕らの変拍子」と続けばもう虜になること間違いなし!
近年とは違った、独特の、他に類を見ない感じの作家だった頃の冬目景の作品世界にハマりましょう!