スタジオジブリ作品の中でも、実は「風立ちぬ」と「紅の豚」だけは成立過程からして他の作品とは「系統が違う」ということをご存じの方は、きっとプラモデル好きまたはミリタリーマニアなのではないでしょうか?
そんな隠れた事実がある作品『紅の豚』を今回はご紹介していきます。
ジブリ好きの方も必見です。
※文字数が多いのでマニアの方のみ見て下さい!
宮崎駿のもう一つの顔
ジブリ作品の多くは
- アニメが先行する企画
- あるいは誰か別の作家による原作です。
ナウシカなどは宮崎駿の原作マンガを元にしてはいますが、オリジナルとはまったく違うストーリー。
しかし「風立ちぬ」「紅の豚」の2作品は初出が「月刊モデルグラフィックス」(大日本絵画)というプラモデル専門のかなりニッチな雑誌に掲載された、宮崎駿自身のまんが連載なのでこのストーリーがほぼそのままの形で使用されています。
宮崎駿はこの雑誌で戦車や戦闘機、空想上の妄想兵器に関して長年執筆活動を行っておりました。
この場所においての宮崎駿は、広く世間に知られる「平和主義者、大映画監督」ではなく「どうしようもない末期でマニアックなミリタリーオタク」です。
ここでの宮崎駿は、本当に楽しそう。
執筆内容も
- 「とある実在の戦車を性能向上させるアイデア募集」を行い、寄せられたアイデアに講評を加え、自身の見解を書く
- ひたすら手書き文字とイラストを詰め込んだ兵器コラム
- 想像上の兵器、王国の航空技術史
- etc…
本当に楽しそうです。
元々「月刊モデルグラフィックス」という雑誌の読者層自体が「そういうの」が大好きな人達なわけで…。
そこでは変なアンチも、逆に信者も両方ほとんどおらず、のびのびと受け入れられている具合です。
等身大のミリタリー好き仲間みたいな扱いです。
昨年監督引退宣言をした宮崎駿ですが、背負った巨大な肩書きを降ろせるこの居場所は居心地がいいのか死ぬまで離れるつもりはなさそうです。
いい老後だなあ。
『紅の豚』と『風立ちぬ』連載
前述したように、「月刊モデルグラフィックス」でコラムなどを執筆していた宮崎駿ですが、二つの長期連載を執筆。単行本を発表しました。
それが「宮崎駿の雑想ノート」「宮崎駿の妄想ノート」の2冊であり、基本的には文字が手描きのまんがです。(連載初期はイラストコラム)
内容は…
- ドイツ軍が開発を放棄したダメ戦車「ポルシェティーガー」をがんばって前線に持って行く話だとか
- 貨物船を改造した空母(搭載機6機のみ!)でインド洋を航行するイギリス空母部隊に攻撃をかけるという架空戦記だとか
- ギャグテイストたっぷりの話もあれば
- オットー・カリウスという実在の戦車乗りの第二次世界大戦における克明な戦記もあったりします。
そしてその中に「飛行艇時代」という架空と実在の飛行艇について願望じみた脳天気なノリの短編作品があり、これが映画「紅の豚」の内容そのままなのです。
後に宮崎駿は「風立ちぬ」も同誌に連載。
こちらも映画とほぼ同じ内容。
これらの作品に共通して見られる特徴は、キャラクターが豚や犬として描かれていることです。(人間の時もあります)
「雑想ノート」「妄想ノート」では、基準がどうやら日本人・中国人は人間。
ドイツ人・ロシア人・イタリア人は犬または人間。
アメリカ人は猿または人間として描かれています(女性は除く)
そしてイタリア人「ポルコ・ロッソ」も、その初出段階から特に理由もなく「豚」だったのです!
ちなみに間を空けて連載された「妄想カムバック 風立ちぬ」では日本人も豚なので、堀越二郎も元々は「豚」でした。
他の宮崎アニメとの違い
宮崎駿のアニメ映画は主に映画を初出としてストーリーを書き起こすか、原作がある場合も子供向けにすりあわせを行います。
「風の谷のナウシカ」も元々は宮崎駿が長期執筆した大河コミックだったのですが、映画サイズにおさめるためにストーリーを大幅に改変。善玉が悪玉になるレベルの大改造なので、最終的にはまんがと映画はまったく別の物語とテーマをはらむものになりました。
しかし「紅の豚」は「雑想ノート」掲載時とストーリーや登場人物、話の流れはほとんど変わっていません。
「雑想ノート」に収録された「飛行艇時代」のストーリーは下記の通り。
「地中海を荒らす空賊退治の賞金稼ぎポルコはエンジンのオーバーホールのためミラノに向かう途上、空賊連合が雇ったアメリカ人用心棒ドナルド・チャックの駆るカーチス戦闘飛行艇に襲撃を受けて墜落。
その後破損した愛機をミラノに居るなじみの工場に持ち込むと設計主任を任されたのが17歳の女の子フィオだった。
若いながら腕のいいフィオによって愛機サボイアS21は再生され、フィオはローンの取り立てとメンテナンスのためにポルコに同行。
ポルコのアジトで空海連合に襲われ、そこでドナルドに求婚される。
フィオは交換条件としてポルトとの決闘を認めさせ、二人の天才パイロットの対決は地中海のお祭り騒ぎとなり、激しい空中戦を展開するも決着が付かず、最後はボクシングで勝者を決める。
どうでしょう。映画と何一つ変わっておりません(笑)
ただ一つ違うのは、ホテル・アドリアーナの女主人「ジーナ」という要素の追加なのですが
これが脳天気ヒコーキまんがだったはずのこの映画に大人の味わいを持たせることに成功。
また、元々豚だったポルコには「魔法で豚になった」という思わしげな設定が後付けされ、これもジーナとの係わりやフィオとのラストシーンを印象深くする効果をあげました。
結果「飛行艇時代」は、見事『映画-紅の豚』として、宮崎駿監督が言う
「疲れて脳細胞が豆腐になった中年男のための、マンガ映画」
に仕上がったという経緯です。
ファンの評価と宮崎駿の後悔
このような経緯を経て製作された 『紅の豚』ですが、作品としては一部に熱狂的なファンを獲得するものの、他のジブリ作品と比べればどうか?
ということになると…興行収入では歴代9位、各所で行われるジブリ作品人気投票でも決して上位にくることはありません。
恐らく、ジブリ映画で一番好きな作品として挙げられることはほとんどないのではないでしょうか?(私はダントツで一位に挙げますが)
そして作った当の宮崎駿自身が、この作品については後に
・ヒットするとは思ってなかった
・(なぜかと問われて)アニメーションは子供たちのためのものだと思っています。でも「紅の豚」では、その前提を無視して作ってしまったんです
と海外記者へのインタビューで応えており、「あんなものは作るんじゃなかった」とも述べています。
子供向けアニメを長年制作してきた宮崎駿にとって、この作品は自らの願望
- ポルコみたいに、アドリア海の秘密基地でのんきに飛行機を飛ばしながら暮らしてみたい
- 飛行機について溜めに溜めた知識を全部映画で描いてみたい
を全開で出してしまったシロモノなので、どうにも「やっちまった感」がぬぐいきれないようです。
しかしながら別の媒体には「いつか紅の豚の続編を作ってみたい」とも発言しており、これが一部のファンから歓迎されています。
そのファンの内、多くを締めるのが「月刊モデルグラフィックス」の読者層であるミリタリーマニアたちなわけです。
ミリタリーマニア間での宮崎駿と『紅の豚』の評価
元々「月刊モデルグラフィックス」で連載しているコラム・まんが類は、この界隈において、それはそれでものすごく面白いわけです。
兵器の知識は深く、兵器に対する愛情も偏執的なレベルに達している絵の上手いおっさんが描くものが面白くないわけがありません。
宮崎駿が「表」の世界でエロロジーや平和主義を発言し「くつろげる居場所」であるこの雑誌において、
- やれこんな妄想兵器考えただの
- 戦車かっこいいだの
好き放題やるにつけ、読者は「いいぞもっとやれ」と思っているわけです。
そして
「こんなに面白いものをどうして映画にしないのか、そりゃ一般人には受けないかもしれないけど」
と思っていたものを形にしたのが『紅の豚』であり、読者としては「やっと作ってくれた、いいぞもっとやれ」という気分な訳です。
つまるところ「月刊モデルグラフィック」の読者層にとっては「大映画監督」なんてものより「もう一人の宮崎駿」のほうが身近なのです。
期待された「風立ちぬ」が、ポピュラーな恋愛映画として成立するために技術的な蘊蓄を抑え気味にした反動もあり(まんがの内容はほとんどが技術話なので、そのまま長編映画にはしづらかった)、できれば戦車ものの「妄想ノート」のほうも趣味丸出しで作って欲しいと願っています。
あるいは架空の兵器が登場する連作短編「雑想ノート」のほうも、1話30分程度でやって欲しい。
そして皮肉なことは、もし宮崎駿という名前がビッグネームでなければ、作品規模は縮小しつつも、これらの作品を映像化したら、ニッチな層にむけて一定のヒットはするであろうことです(業界の規模が小さいので、それで充分)
事実、岡部ださくによる同じ雑誌に連載されている「世界のダメ飛行機」を毎回取り上げるコラムは、この手の本としては、ヒットしています。
結局こちらをやるには「宮崎駿」という看板がそれを遮っているとすら感じます。
「風立ちぬ」を最後と引退宣言をした宮崎駿ですが、かつても同様の発言を繰り返しては撤回して復帰しているため、いろいろと揶揄されることもあります。
しかしながら引退してもまったく創作活動しないと言っているわけではなく、映画レベルの大作は手がけず短編アニメのようなものを作りたいとも言っているので、こちらはファンの間では「やっとミリタリーものをやってくれるのではないか?紅の豚の続編あるか?」
と期待が高まっています。
もしかすると宮崎駿自身、大作アニメでやりたいことは全てやったし映画監督としては充分やりとげた。あとは趣味に生きたい。
と思っているのかも知れません。
自身の影響力が小さくなればなるほど、趣味の作品をてがけやすいと思っているのかも。
もちろん、その真意は誰にもわからないのですが、長年「月刊モデルグラフィックス」を通して宮崎駿の世界に触れてきたファンとしては、そういった願いがあるのかもしれません。
追補 飛行機に対する、宮崎駿の狂った愛情-紅の豚編-
『紅の豚』には同じ「月刊モデルグラフィックス」系の作品である「風立ちぬ」に比較しても、比べられないほど趣味丸出し。
偏執的な飛行機愛が詰まっています。
「風立ちぬ」が恋愛映画として製作された結果、本来の技術話の数多くを割愛してしまったのに対し、
『紅の豚』では、何度も見返さないと気付かないようなシーンや専門用語、カットが満載されています。
ポルコの乗る飛行艇にはモデルが存在するし(誰も知らないくらいマイナーなもの)、カーチスのほうも実在した機体です。
フィオが図面を広げるわずか数カットには、実際の翼断面図が緻密に書き込まれています。
翼のセッティング時間がなかったため離水時に船が傾いたとき、タブという左右の翼に於ける揚力バランスをとるための部品があるのですが、これが説明無しに(エンジニアとパイロット間の会話には不要)使われている、などなど。
作品というものは、それが丁寧に作られていれば作られているほど深みを増すもので、その内容は決して全て観客にわからなくてもよい、と思います。
詰め込まれている専門描写の一つでも解れば、あるいは誰かから説明されたり調べたりすれば「ああ、この作品は本当にモチーフを愛しているのだな」と感じられますし、誠実さを受け取れるゆえに安心して見ていられるのです。
逆に、「どうせわかんないだろう」と手を抜いた作品というものはどうしても底の浅さがバレてしまうため、記録は作ったとしても記憶にも残らない作品が多い傾向にあると思います。
さあさあ宮崎監督、早く本当に引退しちゃってください。
そんでもって、制作費一億円ていどの小品をこっそりと、雑誌以外では宣伝もせずにぜひ!
どうせマニアしか見てないんだから、好き勝手に描いてイインデスヨ?w