かつて、漫画界に写実と徹底的な映画的演出を持ち込んで革命を起こした漫画家であり『AKIRA』において、またもや先進的な革命を起こし、映像作家としても活躍を続ける大友克洋の最新作『SHORT PEACE』を紹介したいと思います。
本作は、大友をはじめ、森田修平・カトキハジメ・安藤裕章らが監督となり、スタッフにはキャラクターデザインに貞本義行・芳垣祐介らが参加。
それぞれに色も本領も異なるさまざまな才能が短編を製作したオムニバス作品となっており、カトキハジメの「武器よさらば」については、かつて大友が執筆した同名の漫画を原作としています。
まずは予告編をどうぞ。
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意外に酷評も多い?『SHORT PEACE』
『AKIRA』のような渾身の一作というわけではないのですが、漫画家としての才能を持続しつつ、映像の世界でも未だ一線で活躍し続ける大友克洋の、枯れぬ才能を垣間見ることができる小品となっています。
また、「武器よさらば」は、彼の本領であるSF漫画の秀作を、ガンダムをメインに活躍を続ける、まさに今が旬のメカデザイナー、カトキハジメが料理した作品ということもあり、高い期待を持ってファンに待ちわびられた作品集となりました。
しかしながら本作には否定的な評価も多く、大友ファンにしか理解されない、などの声や、大友克洋の才能が枯れたことをさらけ出してしまった、などの声も聞かれます。
もちろん、高い評価をつける方も多いので、いわゆる只の「凡作」ではないのですが、短編という制約の中で、私としては、個人的には大友克洋が未だ保ち続ける映像作家としての才能を再発見できた作品でもあり、また、原作のファンであった「武器よさらば」がカトキハジメによって映像化されるというだけで嬉しい一本です。
本作は、
- オープニング
- 九十九
- 火要鎮
- GAMBO
- 武器よさらば
で構成されています。
今回はその中から大友克洋に注目して、監督・脚本を務めた「火要鎮」と、原作を描いた「武器よさらば」の二本に注目して、紹介していきたいと思います。
火要鎮
時と場所は江戸。
幼馴染であり、恋心を抱いていた男がいるものの、時代もあり、家の都合で意に沿わぬ祝言を目前にした女が、憂いの中、戯れに扇を投げていたところ、それが行灯の中に入ってしまい火がついてしまう。
消そうと思えば消せたはずだし、すぐに逃げようとすればいくらでも逃げられたはずなのに、そして実際逃げようとして、家火とを呼ぼうとしたのに。
女はふと立ち止まり、その火を見つめ、放置する。
火は燃え広がりながら、やがて近隣も巻き込んだ大火となった。
幼馴染の男は跡継ぎの一人息子だったものの、刺青を入れたことから勘当され、火消しになっていたのだけど、このまま火が燃え広がれば、彼に会える。
ただそれだけの、しかしやるせないほどに切ない思いで、女は傍観を選ぶ……
はい、めっちゃくちゃ迷惑な女ですね。
江戸って木造家屋の密集地帯だし、案の定大火になっちゃって、いったい全体何人死んで何人財産をなくして、何人が住む家を無くしたことやら。
ただ、なんというか、そういう代償が大きければ大きいほどに、女の絶望と、愛しい彼に逢いたいという切ない願いの大きさだけは、よっくわかる、という構図になっています。
この短い話の中で大友が採った演出方法は、子供時代の二人を同じ構図、遠景で俯瞰しながらシーンをカットインしていくというもの。
そして後半は、短い時間の中で状況をうまく理解させながら、とどめに、行灯から徐々に燃え広がる炎を、戸惑いつつも見入ってしまう女の表情。
江戸時代の火消しのやりかたなんかも描写されますが、火事を放置するというクライマックスが尺の中盤にあり、女の心を理解できてしまえれば、広がっていく被害と罪の深さ、それさえも引き換えにしてしまった女の心象が、回りくどい言い回しもしつこい演出もなしに、スっ、とわかっちゃうんです。
一見なんてことはない短編のようでいて実は、やはり新しいことやってんなあ、大友克洋、と感嘆してしまいました。
どうやら元ネタは井原西鶴やら落語やらがあるっぽい、というようなことがwikiにはありましたが、料理の仕方はさすがです。
『AKIRA』で見せた様々な新しい試みやこだわりと比較して、所見の人には拍子抜けするかもしれませんが、一筋縄ではいかない「上手さ」が光る作品でした。
短編には短編のやりかたで、いい年なのにやっぱり何か新しいことをやりたいというのは、『AKIRA』以来続く、大友克洋のDNAなのだと思います。
受け狙いではなく、作りたいものを納得できる形で作るというのは、芸術家肌の人間にはありがちだけど、多くの場合、それはまったく理解されず埋もれてしまうもの。
でもこの人の場合は、当人にとってもファンにとっても幸福なことに、そのベクトルがちゃんと合っているんです。
いろんなことやるから受信する側からすればたまにはずすけど、でもほかの誰かにとっては、それが大切な作品になる。
さすがに『AKIRA』のような、常識をひっくり返すほどの衝撃力はなかなか繰り返せるものではないと思いますが、いまいる場所に安住することなく頭をひねり続けるスタイルは、まさしく大友克洋そのものでした。
押井守、宮崎駿らのように独自色を確立していって、完成度を高めていくのも作家としてのスタイルだと思いますが、高い評価を受けても、変化し続けることを選択するのもまた、魅力的なあり方だと思います。
次にどんなものが出てくるか客が期待して、期待以上の料理を出す力を持つ人は数あれど、中華が出てくると思ってたら南米の料理が出てきて、それが案外美味しかったりするのもまた、稀有な人材かなあ、と。
彼が元気に生きている限り、いつかまた考えもつかないようなことをしでかしてくれそうな予感を感じさせる、そんな小品でした。
武器よさらば
こちらのほうは、ある意味期待通りで、それだけに期待はずれでもあり、でもまあ、こんなもんか、という作品。
ストーリーとしては、砂漠の廃墟を舞台に5人のパワードスーツ小隊が無人戦闘ロボットと交戦、次々と味方がやられていき、脱出のためパワードスーツをパージした最後の一人だけは、ロボットに武装解除したとみなされ「丁重に」非戦闘員は退避してくださいと勧告されるってだけのもの。
実は、漫画のほうはかなり印象が強い作品なんです。
というのも、大友作品の特徴である、シニカルで、どこか間抜けで、ウィットの効いた会話もあるし、漫画家としての大友克洋の本領である「漫画なのに動きの描写が実に上手い」というところが如何なく発揮されていて、なおかつ「最初からパワードスーツ脱いでたらよかったんじゃね?」というトホホなオチもあり、で。
しかし、この漫画の魅力は、紙媒体でどこまで動けるか、映画的な魅せ方ができるか、ということだったわけで、実際に動かしてみたら、そりゃ普通の作品だよなあ、というか。
「プライベートライアン」とか「父親たちの星条旗」とかで、こういう少人数の市街戦シーンというのは飽きるほど見ているわけで、新しさも何もない。
カトキハジメによるメカ描写は、さすがなんだけど、それならガンダム見てりゃいいって話だし。
とはいえ、シニカルで笑うに笑えない、間抜けさと悲しさと滑稽さが同居した読後感みたいなのは再現されていたし、そういう意味では期待通りだったのだけれど……うーん、評価が難しいです。
悪くないけど、よくもない。
いや、楽しめたんだけど、期待はずれ、どっちだ?
ただ、これを漫画でやったときに、ほぼ同じように楽しめたってことは、やっぱり漫画家やってるときの大友克洋はすごいんだなあ、という再発見があったというか。
とりあえず、気軽に観てみよう
大友がらみの話ばかりで恐縮でしたが、オープニングや九十九、GAMBOもそれぞれ面白かったし、いろんなクリエイターの作品に触れるとき、こういったオムニバス形式というのは、ああ、こんな人もいたんだ、という発見が多いので、観て損はないと思います。
いろんなものを観れてお得感もあるし、お手軽ですし。
オムニバスって、嫌う人と好きな人と判れるものなんですが、オムニバス好きとしてはこれは良作だと思います。
大友ファンであれば、「火要鎮」は期待以上でもありますし、ガンダムファンとエヴァファンとAKIRAファンが同居できる映画、というのもなかなか乙なものではないかな、と。
長編アニメに疲れた方に、新しい作家発見を気楽にやってみたい方は、ぜひ、観てみてください!